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こころの掲示板

10月

書:熊谷 清香

 評価が気にならない人はいないでしょう。
 評価が気になってしまう私たち人間の心理の現われでしょうか、日常生活を見渡すと、そこにはさまざまな形の「評価」が溢れています。
 SNSでは日々「いいね」の数が競われています。動画サイトでは、「再生数」が動画の価値を決めます。どれだけ人から注目され、拡散されたか、つまり「バズった」かが、SNSにおける「評価」になっています。
 何かと「ランキング」にして順位を付けたがるのも人間です。音楽番組でのランキング、星座占いでの運勢のランキング、あらゆるランク付けがあります。なぜ自分が何か決めたりモノを選んだりするときに、世間からの評価を気にするのでしょうか。自分のことなのに、自分の目や感覚でモノの価値を確かめることより、他者からの評価を気にするのはなぜでしょうか。
 モノの評価も気になりますが、もっとも気になるのは「自分自身」に対する評価ではないでしょうか。まわりから自分がどう見られるか、褒められるかが気になります。「学校」という場で言えば「成績」が気になりますし、SNSで自分の投稿にどれだけ「いいね」が付いて注目されるかが気になります。成績や「いいね」の数が、自分の人間としての「価値」まで決めるものであるかのように感じてしまうからです。
 しかし、そもそも人間が人間を正しく評価することなど可能なのでしょうか。テストの点数や身長ぐらいなら比べることはできるかもしれませんが、数値化できない人間そのものの価値まで評価などできるのでしょうか。
本来、人間が人間を正しく評価などできないはずです。にもかかわらず、評価しようとするところに無理が生まれますし、最も厄介なのは、「評価されたい」人間の根性です。
 「はかること」や「くらべること」や「評価」が不可能な“いのち”を生きている、そのことの発見が、今の時代を生きる土台となるのです。

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