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書:中城 琴乃

 今月の掲示板は先日おこなわれた真宗教育研修会で紹介された言葉です。言葉の主であるジークムント・フロイト(一八五六年~一九三九年)は、オーストリアの心理学者で、「夢診断」や「精神分析」を提唱するなど私たち人間の「無意識」を研究した人です。
さて、「否定」という言葉を聞いて皆さんはどのように感じるでしょうか。決して嬉しいような感情は湧いてこないと思います。例えば誰かから自分のことを否定されれば落ち込みますし、時に腹を立てることもあるでしょう。
とある料理店を営む店主が客の反応で一番悲しいのは「不味い」「二度と来ない」という否定的な意見ではなく、「特になし」という感想すらないことだと言っていました。「特になし」というのは、味わうも何も関心がないということなので、料理人にとってこれほど悲しいことはないとのこと。
 続けて店主に「自信をもって出した料理を不味いと否定されて悲しくはないのか」と聞くと、「もちろん料理の味を否定されて嬉しいことはないが、不味いというのは味わってくれた証拠。落ち込むことはあるが、むしろ料理の腕を上げるチャンスであると私は捉えている」と店主は言いました。誤解のないように書いておくと、この文章は否定を正当化しているのでもなく、「否定は自分の成長になる」という暴力的なことでもありません。あくまで、この店主が「(否定されたことによって)私の新しい歩みになる」と、そう受け止めただけの問題です。
 このように、フロイトも否定を推奨しているのではく、人間は万能でないからこそ、自分自身の今の在り方を否定される(否定と出会う)ことで、かえって自分自身を問い直す機会が得られると、自分自身に向けていっているのです。 

11月

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